勉強している気分に…実力なし!!

志望校の大学に合格するためには、もちろん勉強するして合格できる実力を身につけなければならないことは、誰にも当てはまることである。例え東大であろうが、有名私立大学だろうが、地方の国立であろうが、その大学の入試に合格できる実力がなければ、そこに入ることはほぼ不可能である。だからこそ、志望校に入るために受験生は皆勉強するのである。もし勉強を怠れば、不合格の可能性が高くなることはもちろん誰もが知っていることであろう。

しかしながら私は、高校時代には勉強を怠ることは多かった。勉強の大切は当時からすでに知っていた。勉強しなければ成績は上がらないことや、入試に合格できないことも理解していた。受験で成功している人々は皆努力したからこそ「合格」という成功を手に入れることができている、という事実にも納得していたうえで理解していた。それでもあまり勉強はしなかった。

勉強を「苦痛」、「しんどい」と感じる人はいつでもどこでも多数存在するが、私もその1人であって、勉強に対しては非常にアレルギーを感じていた。そのため、勉強に熱中することはなく、勉強したとしても、実際に行った時間はほんの数分のみであり、すぐにテレビを見たり、ネットサーフィンをしたりしていた。必須行動である勉強ではあるが、私はそれをしようとはしなかったのだ。

このように、勉強したとしてもほんのわずかな時間だけであった私であるが、高校時代の当時は錯覚した認識を持っていた。数分だけの勉強では到底実力がつかないことは誰にでもわかることである。しかし私は、こんなわずかな時間の勉強でも、勉強した気分になっていた。「今日は勉強をがんばった。これくらいやれば充分であろう。」と、勉強していた気分に陥っていた。「勉強さえすればよい」と感じていたのだ。今考えたら、とても愚かで錯覚した考えであったとしか言えないことであった。

以上のように、私はほとんど勉強していなかったという事実に加え、勉強をしているという錯覚した気分になっていた。この考えは受験期になってのほとんど変わることはなかった。このことが高校時代の3年間という期間にわたって積み重なり、結果として受験で不幸な結果につながったのだ、と私は大学生となった今振り返る。


◆まとめ1)勉強しなければ「合格」できないことは知っていた
2)しかし、勉強する時間や量は極わずかであった
3)にもかかわらず、「自分は勉強している」と勘違いしていた

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