自分だけは大丈夫? 大学入試で落ちる人の考え!

大学受験に対する愚かな考え


大学入試に関して毎年2月後半から3月にかけての時期になると、最終的な進路の結果が決定する。もちろんその結果は受験生個人個人によって異なり、無事に志望校に合格でき、心が晴れた楽しい春休みを送れる人もいれば、一方で不合格という結果になって心に曇りのある春休みを送ることになる人もいる。

合格する人の多くは、受験時代に志望校を目指して一生懸命努力した人であるといえる。逆に、不合格になる人の多くは、受験日までの努力を怠った人であるのだ。「不合格」という結果はどんな人にとっても非常に残念な結果ではあるが、努力をしなかったのであれば、そのような結果となってしまっても仕方がないことなのである。自分が志望校に合格するため勉強を頑張った結果が「合格」という報酬であり、勉強を怠った結果が「不合格」という結果に跳ね返ってくるものなのだ。私の場合の後者に当てはまる。もちろん私自身も第1志望校に入りたかったが、勉強に関しては怠ってしまった。

自分だけは合格できる


では、なぜ勉強を怠ったのか。それは、努力をしなかった者の多くは合格を手にすることはできないという事実を知っていた一方で、自分だけは何とかなると思っていたからである。「もしかしたら、自分だけは運が良くて、勉強はしなくても合格できるのではないか」と、ただ自分が苦労なく受験で成功することだけを考えていたのだ。

このように、自分に限っては何とかなると思っている人は多いのではないだろうか。大学受験で成功するためには努力をしなければならないという事実はわかっているのであるが、それが自分自身にも限ってはそういう事実は該当しないのであると考えてしまいがちなのである。つまり、どうしても、自分だけは成功できると思いがちなのである。このようなことは、誰にでもある普遍的な考えであることは事実だ。しかし、現実にはそうなる根拠は全くない。私も今思えば、全くの愚かな考えであった。私は「神」ではないため、自分だけは何もせずに合格できるようにする魔法をかけることは不可能だ。

自分だけは何とかなると思うことはあくまでただの願望であり、それは理屈ではない。宝くじの当選確率は非常に低いことは誰もが知っていることであろう。しかし、宝くじを買う人は、「もしかしたら自分は当選するのではないか。」と過度に極わずかな確率を期待。これと同じ原理である。

「自分だけは大丈夫。」
「自分だけは運に恵まれていそう。」
このように、科学的な根拠がまったくなくても、自分に限っては他の人とは違って幸運な出来事に巡り合えると思ってしまうのはどんな人にも当てはまる。しかし、そのような気分を真に受け止めてしまうことは愚かな考えであり、それを根拠に何の努力もせずに「成功」となる出来事に巡り合おうとしていることはもっと愚かな行動である。

志望校に合格したいと思うことは誰にでもあてはまることだ。だが、合格するためには努力することが求められ、それをしたものだけが合格を手に入れることができるのである。何も勉強せず、努力せずに、ただ過度な期待をすることは不理屈なことであり、何の根拠もない。「合格」は「努力」の対価であり、楽して成功することは非現実的なことなのである。ただ寝ているだけでは「合格」は手にすることはできないのだ。

「自分だけは合格できる。」と、
大学受験で成功したいと思う一方で、それを実現させるための努力については何もせずに、ただ自分の神技に過度に信じることは、「合格」のために何もしないでいることと全く同じことなのである。


◆まとめ1)自分だけは「合格できる」と思いがち。
2)しかし、それは何の根拠もない。
3)合格するためには、努力するしかない。
4)楽して合格することは不可能。

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