「特攻」とは自滅同然
特攻隊についてを映した映画「永遠のゼロ」は大変話題となったが、大学受験でも「特攻する」人は意外と多いのではないだろうか。大学受験における特攻とは、もはや自分が志望校に合格できる確率がほとんどゼロの状態でも、一か八かを賭けて願書を出し、受験することである。例えば、予備校のセンター試験判定システム(バンザイ・システムなど)でE判定が出ても、ダメもとで受験することを決める行為は「特攻」と言えるだろう。
このようにダメもとで受験することを「チャレンジする」あるいは「挑戦する」と呼び、「もしかしたら合格できる可能性がある」というような中立的な感じがある一方で、「本番で頑張ればきっと合格できる」といったようにポジティブなニュアンスがあって、合格する確率が低い状態であっても受験することが素晴らしいことであるかのように考える人は少なからず存在する。
ところが、現実にはそう簡単に合格できるものではない。E判定とは合格の可能性が20%以下のことを表すが、それは良くても5人に1人がやっと受かるという状態を表しているのであり、不合格になってしまう可能性が極めて高い状態を表しているのである。E判定が出されたということは、その判定が対象としている大学にはほぼ合格することができないという厳しい現実を示しているのである。それを無視して受験することを強行したとしても、結果的に不合格になってしまっても理論上は何もおかしいことではないのだ。
このように合格できる可能性が低いことを承知はしていても、実際にはわずかな可能性に賭けて受験を決行する人は多い。自分たちにとってはおそらく受験に対して「挑戦」している気分になっていて、「自分だけは何とかなるのではないか」と考えているのであろう。だが、他人から見たらそれは無謀でしかない。もちろん低確率でも合格さえできれば、それはすべて良しなのであるが、残念ながら多くは無謀なままで終わってしまう。
「特攻」も不合格の原因に
低い可能性に賭けて受験した人々のうち、私もその1人だった。私の場合は、模試で受験期以前からD判定が出ていた。しかし、そんな判定を深く気にすることはなく、奇跡を求めて私は長年の志望校であった大学を受験することに決めた。当時私は、無謀なことを意味する「特攻」というよりも、「チャレンジ」するという考えを持っていた。つまり、低い可能性を求めることに対して過度にポジティブな考えを持っていた一方で、合格することが厳しいという現実をはまったく理解していなかったのである。すなわち、私は模試の結果が示す警告を甘く見ていて、「なめていた」のである。
受験が終わり、結果はもちろん不合格となった。それからしばらくして私は、合格可能性が低かった私の受験が無謀であったことに気付いた。どんなにチャレンジしても、やはり確立の法則にはなかなか勝てないということを実感した時期であった。よく考えれば、当時の私には「感情」以外に自分が受験校に合格できるという根拠がなかった。このことから、私の受験は「チャレンジ」ではなく、「特攻」だったのである。
自分の可能性を信じることは非常に良いことではあるが、それに無根拠で過度に自分の可能性を信じ、「特攻」することは無謀でしかなく、無駄な行動であろう。それを「チャレンジ」ととらえる人もいるが、実際には「特攻」であるのだ。「特攻」して受験校に落ちるくらいならば、それまでに一生懸命勉強して自分の志望校に合格できる実力をつける方が賢明な行動ではないだろうか。