どうして私は不合格になったのか

不合格の理由はただ1つ


私が第1志望の大学に入れなかった理由は、その大学に合格できるほどの学力が身についていなかったからだった。なぜ学力が身に付かなかったかと言えば、学力が上がるように勉強をしなかったからである。

大学受験の一般入試で不合格になる理由はただ1つしかなく、それは入試で点数が取れないからである。合格点を取ることができないのは、学力が十分にないからである。合格することに至らない間接的な理由はたくさんある。だが、直接的な理由は学力が不足しているからであり、学力が不足してしまうのは勉強量が十分ではないからである。そして、私は勉強を十分にはしていなかった。

受験生に対して勉強に励むように助言することは簡単なことであり誰でもできることであろう。
「○○大に合格するために頑張れ。」
「毎日○時間勉強すれば、君は合格できる。」
このように受験生に対して勉強を促進させるようなメッセージを伝えることは可能だ。

しかし受験生に強制的に勉強させることは不可能なことで、実際に勉強するかしないかを決めることは受験生本人しかできない。
「勉強しろ!」と受験生に対して勉強することを命令することは可能であるとしても、それに従いか従わないかを最終的に判断するのはあくまで受験生本人でしかない。

したがって、受験においては受験生本人が自分の勉強に対してすべての責任を持つのであり、不合格になるのも全部受験生本人の責任なのである。よって、合格できるほどの学力を身に付けるための勉強もせずに不合格になることは、ただの自滅であるのだ。

勉強しなかったことで「不合格」という結果になった私が、合格するために勉強をするという判断をしなかった根源も私にある。合格には必須である学力を伸ばす行動を取らなかったのも私である。つまり私は、自分が勉強を怠ったことに対する対価が「不合格」という結果だったのである。私は大学受験で自滅したのである。

自分だけは合格できる


「勉強しなければ合格はできない」ということを知っていた。自分の現在の学力では到底合格することは難しいということも知っていた。自分の現状と合格の難しさを私は知っていた。でも「理解」はしていなかった。つまり私は、不合格になる可能性が高いという事実を知ってはいたが、それが自分のことであるとは認識してはいなく、他人ごとであるかのように考えていたのである。
勉強しないで不合格になる人は確かにいるが、私は何となく多少は勉強しなくても合格できそう。
このように私は、そのような事実は自分には関係がないことのように考えていたのである。

世の中には学力が不十分でっても、入試本番で偶然に実力以上に力を発揮して難関大学に合格してしまう人は存在する。それほど熱心に勉強をしなくても東大に合格する人は存在しないわけではない。しかしその数はほんのわずかだ。だが、それでも私はそんなとても小さな期待を過度に信じて、入試本番では予想以上の実力を出せるのではないかと思っていたのだ。
自分だけは合格できる
このように考えていたのである。

「自分だけは大丈夫」というバイアスに陥っていて、自分の神技を信じていたのである。もちろん私は神ではなく、そんな神技が実際に存在するはずもない。結果的にも、私には一般的な理論にはうまくあてはまり、「学力がない者は合格できない」という理屈通りに私は不合格になった。逆らうことができないはずの理屈に逆らって私は不合格になったのである。このような愚かな考えをしていたこともまた自滅としか言えないことであろう。

みんな勉強していない


私の周囲には、勉強を怠っていた人は少なからず存在した。そのような勉強をしていない人が、勉強をしたくなかった私の視野に大きく映っていた。そして私は「みんな勉強していない」という錯覚を覚えたのである。

もちろん周囲の人全員が勉強をしていなかったわけではない。ただ単に自分が勉強をしていないことを正当化するために、自分と同類の人に過度に注目していただけなのである。つまり、私の視野に入っていた勉強をしていない人「みんな」が勉強していないという幻想が出来上がったのだ。

そんな誤った根拠を持った私はある想像を作り上げた。
「みんな勉強していないから自分も勉強をしなくても大丈夫。」
こう考えて私は、自分が志望校に合格するためには勉強する必要があるという事実に向き合おうとはしなかったのだ。

高校時代、私は次のように考えるべきであった。
「合格する人はみんな勉強している。」
“みんな・・・だから”というバイアスをもっと良い方向に使えば、不合格になることは避けられただろう。

Share This!



Popular Posts

Followers

About