シリア民主化が失敗したのはなぜ?

 アラブの春の一部として、シリアでも民主化の動きが一時は見られた。しかし、アサド大統領の長期化が顕著となり、民主化どころか内戦に入ることとなってしまった。平和的に政権の移行が実現した国と比較すれば、シリアは失敗したといえる。

 チュニジアでは概ね「成功」となったアラブの春であるが、なぜシリアでは内戦となって、失敗の道をたどることになってしまったのか。今回は、「社会問題と失敗」のテーマとして、シリア民主化の失敗を例に挙げる。

民主化が進まなかった理由


 アラブの春と呼ばれる一連の民主化と革命の運動で、成功を収めることができた国がチュニジアである。一方で、大失敗となったところがシリアだ。

 シリアでもまた、貧富の格差は大きな問題となっている。しかし、シリアには石油などの天然資源がそれほど多くはなく、アラブ諸国の中でも少ない国である。産業も特に大きなものは存在しないことから、反体制派が多くの人から支持を受けるのは容易ではない状況であった。

 産業も資源もなければ、今は貧しい人々が今後裕福になる手段はほとんどないに等しい。したがって、既存のアサド政権も反体制派も、「みんなを豊かにする」政策を掲げることはできなかったのである。双方とも、どちらかが大きく有利になるほど大規模な支持を国民から受けることができなかったために、シリアにおける民主化の流れが決定的になることはなかったのだ。

 双方が拮抗した状態が続いたことで、暴力によって解決しようという流れが作られ、ついには内戦へと突入した。このような失敗の原因は、勢力の両方ともに、多くの人が納得する経済政策を出せなかった点にある。人の暮らしを豊かにする方法を見つけ出せなかったことで、双方ともに大きな支持を受けられず、さらに反体制派の中でも意見がまとまらずに、民主化の流れは複雑化していき、ついにはより過激なイスラム国までもが登場して、失敗ということになってしまった。

Share This!



Popular Posts

Followers

About